大阪地方裁判所 昭和41年(行ウ)57号 判決 1968年1月28日
原告 板東昭
被告 八尾税務署長
訴訟代理人 伴喬之輔 外三名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事 実 <省略>
理由
一、被告が、原告の昭和三九年分の所得税確定申告(総所得金額五九万五四五〇円、その内訳・給与所得三二万二二五〇円、譲渡所得二七万三二〇〇円)について、昭和四〇年一〇月一四日、原告の総所得金額を二三九万七二五〇円(内訳・給与所得三二万二二五〇円、一時所得二〇七万五〇〇〇円)とする旨の更正処分をし、これを原告に通知したこと、この更正処分を不服として原告が異議申立と審査請求をしたこと、大阪国税局長が原告の審査請求に対して昭和四一年四月一二日付で所得金額のうち一時所得二〇七万五〇〇〇円を二〇一万円に減額し、その限度において更正処分を一部取消す旨の裁決をなし、その頃原告に通知したことは当事者間に争いがない。
二、本件更止処分の所得金額中、給与所得三二万二二五〇円は、原告のなした確定申告の金額と同額であり、従つて本訴において原告の認めて争わない(その違法を主張しない)ところである。
三、一時所得の主張について。
<証拠省略>を総合すれば、つぎの事実が認められる。
鴻野あさ江は昭和二〇年一月頃父鴻野徳松が死亡したため家督相続により大阪市東住吉区田辺東之町二丁目八〇番地宅地一七五・一七平方メートル(五二坪九合九勺)、同八一番地宅地四七一・六三平方メートル(一四二坪六合七勺)及びこれらの地上にある木造瓦葺二階建居宅二棟(内訳・五月建一棟、四戸建一棟)の所有権を取得し、右地上建物の一部分である本件建物(一戸)を昭和二〇年五月頃原告に期間の定めなく賃貨し、その余の部分を門谷政市、太田米次郎、尾越弘、工藤勇、石川厳、その他の賃借人に賃貸していた。昭和三九年五月頃になつて、前記鴻野あさ江は名神土地建物株式会社代表取締役中西清之から右の土地建物の売却方を求められたので、右物件を一括して買つてくれるなら売却してもよい旨の意向を示し、同会社が売買土地の測量をすることを承諾した。同会社が測量するのを見て原告その他前記借家人等は右売買の交渉が進められていることを知り、同年七月頃鴻野あさ江に対し、「長い間住んでいる我々に相談なしに売つて貰つては困る。売るなら名神土地建物株式会社には売らないで我々に売つてほしい。」と申し入れたが、鴻野あさ江は全物件を一括して売却したいと思つていたので、「買うなら全部を一括して買つて欲しい。」との希望を述べ、その後この希望に対しては原告その他の借家人等から何等の返答・交渉もなく売買の語しは具体的に進展しなかつた。鴻野あさ江は同年九月頃名神土地建物株式会社代表取締役中西清之との間で、売買代金を合計三、九〇〇万円(契約成立と同時に手付として二〇〇万円支払、残額は昭和四〇年三月三〇日までに分割支払)、建物の明渡しは買主名神土地建物株式会社が原告その他の建物賃借人と話合つて決め、売主鴻野あさ江はこの話合いに協力するが賃借人に対し立退料を支払うときは売主は負担せず買主が賃借人に立退料を支払うとの約束で、前記土地建物を売渡す旨の売買契約を結んだ。その後昭和四〇年一月二七日までには賃借人らの立退きが完了し、買主名神土地建物株式会社は鴻野あさ江に」売買の残代金全部の支払をした。他方、原告その他の賃借人、は昭和三九年七月頃、前示のように、一度は鴻野あさ江に対し賃借人らに売つてくれるように申し入れたが、「賃借建物と土地の全部を買取つてくれるのでなければ応じられない。」旨の返事があつたので買受資金に窮し、賃借人らが買受ける交渉は進展しないままに終つた。家屋立退きの交渉は名神土地建物株式会社の代表取締役中西清之が賃借人らと行ない、鴻野あさ江は賃借人らと直接立退きの交渉をしなかつた。中西清之は原告と交渉の結果、原告は名神土地建物株式会社から立退料として四三〇万円を受取つて本件建物を同会社に明渡すが、税金対策(租税特別措置法第三五条の規定による、譲渡所得金額の軽減を図る)のため、売買に関する書類の形式上は、原告がいつたん鴻野あさ江から本件建物を買受け原告から名神土地建物株式会社に転売したことにし、そのことについては鴻野あさ江の承諾も得て、事実と相違する虚構の売買契約書<証拠省略>を作成の上、建物登記簿上も鴻野あさ江から原告を経て名神土地建物株式会社へ所有権が移転した旨の登記手続をした。原告は右とりきめに従つて、昭和三九年九月乃至一〇月上旬頃名神土地建物株式会社から立退料四三〇万円を受領したが、前記中西清之に、右のように鴻野あさ江から原告、原告からさらに名神土地建物株式会社にという虚構の事実に基づく所有権移転登記(並にそのための本件建物所有権の区分登記)の登記手続を依頼し、さらに本件建物から退去後の居住建物の購入斡旋方をも依頼していたため、それらの諸費用・手数料として三〇万円を支払い、残額の手取り四〇〇万円を受領して同年一〇月五日頃本件建物を同会社に明渡した。
以上の事実が認められる。<証拠省略>には原告が昭和三九年七月末日鴻野あさ江(または鴻野徳松)から本件建物を代金一一五万円で買受け同年九月三日名神土地建物株式会社に代金四三〇万円で転売し、その旨大阪法務局中野出張所に登記申請した旨の記載・供述があるが、これらの書類は前示のように立退料を受領することによつて原告が負担すべき税金の軽減をはかり、これによつて原告が円満に立退くことができるようにするために中西清之が中心となつて原告や鴻野あさ江の了解を得て作成したもので事実と異なるものと認められるし、原告本人尋問の結果中原告が鴻野あさ江から本件建物を買受けたという部分は前記認定に照らして措信できない。
してみると、原告が名神土地建物株式会社から受領した四三〇万円が立退料であることは明らかである。
ところで、被告は、右立退料四三〇万円が旧所得税法第九条一項一号から八号までの所得に該当せず、営利を目的とする継続的行為から生じたものではなく、労務その他役務の対価たる性質を有しない一時的なものであるから、同法同条同項九号所定の一時所得であると主張する。
同条一項八号によれば、譲渡所得は資産の譲渡に因る所得であり、建物所有を目的とする土地賃借権の設定の対価として支払を受ける金額で土地価額の一〇分の五をこえるものも譲渡所得に含まれる。一時所得は、譲渡所得等同条一項一号乃至八号に定める所得以外の所得で、営利を目的とする継続的行為から生じた所得以外の一時の所得のうち労務その他役務の対価たる性質を有しないものをいう(同条一項九号)のである。従つて、本件立退料が資産の譲渡の対価たる性質を有しているか否かが問題となる。
家屋明渡に際して家屋所有者から家屋明渡をなす者に対し支払われる立退料は、その具体的事情に応じて各種の性質があり、一般的抽象的には決められないが、本件では、前示のとおり、本件建物の買受人名神土地建物株式会社は原告が適法な(対抗力を有する)家屋賃借人であることを認め、その賃借権を消滅させるために立退料を支払い、原告も立退料を受領することによつて賃借権を放棄し、それに伴つて本件建物を名神土地建物株式会社に明渡す意思で四三〇万円受領したのであるから、本件立退料四三〇万円は本件建物について原告が有していた賃借権を消滅させる対価としての性質を有しているものと認められる。もつとも家屋賃借権は、賃貸人と賃借人との契約に基づく人的関係を基礎としたものであるから、賃借人が賃貸人の意向を無視して賃借権を勝手に他に譲渡し転々流通させることはできないが、法的には財産権の一種であり、賃貸人の承諾を得れば処分(譲渡、転貸)可能な権利であり、現実の社会生活において経済的には金銭に評価することのできるものであるから経済的価値を有するもの即ち資産の一つであると解するのが相当である。
ところで譲渡所得は、資産に値上がりを生じた場合、その資産が売却その他処分によつて換価されることにより増加益が実現したときにこれを捕捉して課税するものであつて、処分により増加益が実現したのであれば、必ずしもその原因が売却等資産が他に移転する場合に限らず、資産が消滅(処分の一種)する場合(例えば土地収用によつて、土地及びそれに対する賃借権が収用され、土地所有者、賃借人に補償金が支払われた場合の賃借権の消滅)にも、譲渡所得があつたものといわねばならない。
従つて、原告が家屋賃借権消滅の対価として交付を受けた四三〇万円は、譲渡所得に該当するものというべきである。(なお、賃借権消滅の対価としての立退料を一時所得ではなく譲渡所得と解することは、譲渡所得には経費の控除項目として、取得価額、設備費、改良費が認められている点で、納税者に不利益といえない。)
四、租税特別措置法第三五条(居住用財産の買換えの場合の譲渡所得の金額の計算)の適用について。
同条は、個人の住宅建設に便宜を図るため税制上の措置として、個人が「土地若しくは土地の上に存する権利又は家屋の譲渡をし」た場合に、限定して、その前後において当該個人の居住の用に供する土地等又は家屋を取得した場合に、譲渡所得の金額の計算について特例をもうけたものであるが、本件では、前示第三項認定のとおり原告が名神土地建物株式会社に対して消滅させた(放棄処分した)のは借家権であり、借家権は「土地若しくは土地の上に存する権利又は家屋」に該当しないから、同条の適用による特例を認めることはできない。
五、譲渡所得の経費について。
(一) 譲渡に関する経費 前示第三項で認定したとおり、原告は立退料四三〇万円の中から名神土地建物株式会社に対し諸費用、手数料として三〇万円支払つているが、これは原告が本件建物の賃借権を消滅(放棄)させることに関するものではなく、本件建物を鴻野あさ江から原告原告からさらに名神土地建物株式会社に順次譲渡したという虚構の事実をつくり出すために必要とした登記手続に関する費用及び転居先の建物の購入についての周旋料として支払つたものであるから資産の譲渡に関し通常必要とされる経費とは認められない。
(二) 借家権の取得価額 前示のように原告は昭和二〇年五月頃賃貸借契約を結んだのであるから、旧所得税法第一〇条の五第三項が適用され、本件借家権の取得価額は昭和二八年一月一日における価額として命令で定めるところにより計算した金額とされるが、この金額を認めるに足りる証拠はない。
(三) 設備費、改良費 原告が本件建物について設備費又は改良費を支出した事実を認むべき証拠はない。
従つて、本件譲渡所得については経費は零というほかない。
六、譲渡所得金額の計算
収入金額 四三〇万円
経費額 〇
法定控除額 二二二万五〇〇〇円
譲渡所得金額 二〇七万五〇〇〇円
七、以上の事実によれば、原告の昭和三九年分の所得のうち一時所得金額を二〇一万円(収入金額四三〇万円、経費額一三万円、法定控除額二一六万円、一時所得金額二〇一万円)とした本件更正処分(大阪国税局長の審査裁決によつて一部取消された残余の部分)は、所得金額において前示第六項で認定した譲渡所得金額二〇七万五〇〇〇円をこえないものであり、且つ、本件の場合の一時所得と譲渡所得のちがいは収入金額の法的性質についての判断(法的評価)の相違に由来するにすぎないものであるから結局適法というべく、原告の請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 山内敏彦 藤井俊彦 井土正明)
目録<省略>